ひのはしら一里塚
ひのはしらいちりつか

資料解説

江戸時代の街道沿いには、江戸までの距離を標す一里塚が設けられています。長崎街道では、現在この一里塚が唯一築山を残す一里塚です。5間(9m)四方で周囲に高さ1.7m~3.4mの石垣が積まれ、高さ約4mの規模を持っています。正面に石段があり、頂部にはいぼ地蔵が祀られています。

speaker_notes基本情報

資料の分類 歴史文化遺産 > 埋蔵文化財 遺跡 > 中世 > 散布地 > 発掘調査
名称 ひのはしら一里塚(ひのはしらいちりつか)
所在地 神埼町 田道ヶ里 大依
場所
年代 江戸 --年 (0年)
年代根拠 --
指定区分 市指定 史跡
資料番号 7733

speaker_notes詳細情報

構造特徴・概要 長崎街道沿いに築かれた築山状の一里塚である。江戸に向かって左側に位置し、一辺m・高さmの築山が残り、周囲は石垣積みとなっている。頂上部には、石像の「疣地蔵」が祀られており、この地蔵をまっったことが築山状の一里塚が今日まで残された原因となっている。なお、疣地蔵は脊振山の弁財天と背比べまた近づきたいと高いところを好む地蔵で、お参りの際にはいり豆と砂を持って参る習わしであったと伝える。
現在、長崎街道沿いに残る築山が残存する唯一の一里塚である。
主な遺構 築山・石垣(はしご状の基礎構造を持つ、基礎部分の石材の一部には肥前地方特有の赤石が用いられている。)
主な遺物
特記事項 佐賀県遺跡台帳:遺跡番号0218
文献 『御国中所々道法帳』
『肥前古跡集』寛文5年(1665)
調査履歴

※1 実際は、多くが縦書きですが、都合上、90度回転させて横書きで表記しています。
※2 ■で表記されている文字は、調査では判明しなかった文字です。

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