仁比山神社
にいやまじんじゃ

資料解説

大山咋神を祭神とする農業神として崇敬される神社です。元は、「日吉宮」「山王社」とも呼ばれていました。由緒書によれば、承和11年(844)慈覚大師が土中より「日吉宮」と書かれた額を掘出し、仁明天皇に奏上し、仁明天皇の「仁」と比叡山の「比」を合わせ「仁比山」の勅号を受けたと伝えられています。境内には神使である猿の石像・彫刻が多数みられます。また、12年に一度申年に行われる御田植祭である御田舞が伝承されています。

speaker_notes基本情報

資料の分類 歴史文化遺産 > 建造物・石造構造物 > 神社・仏閣・堂建造物 > 神社 > 神社
名称 仁比山神社(にいやまじんじゃ)
所在地 神埼町 的 仁比山
場所 仁比山地区の北端部の谷奥に位置する。
年代 奈良 承和11年 (844年)
年代根拠 文書記録による
指定区分 --
資料番号 1171

speaker_notes詳細情報

構造特徴・概要 大山咋命をご祭神とし、農業の神として崇敬される神社である。元、日吉神社・山王神社と呼ばれ、明治43年に仁比山村内の13社を合祀、明治44年白角折神社を合祀して、現在の仁比山神社に改められる。社殿は、木造銅板葺きで、拝殿と本殿は幣殿で連結される。現在の社殿は、鍋島直茂・勝茂により再建されたものである。境内には、酒の神松尾社、正一位松の森稲荷神社や水鏡があり、境内裏山には滝がある。また、当神社には、12年に一度申年の4月、初申から13日間にわたって行われる仁比山神社の祭典「大御田祭」が行われ、豊作を祈った予祝行事である「御田舞」が奉納される。
現状
背景・由来・伝承 『肥前古跡集』には、天平元年松尾明神を勧請したことに始まり、承和10年(810)比叡山日吉山王社を分霊し合祀したとある。また、『仁比山護国寺由緒書」には、承和11年(811)慈覚大師が土中より「日吉宮」と書かれた額を掘出し、仁明天皇に奏上し、仁明天皇の「仁」と比叡山の「比」を合わせ「仁比山」の勅号を受けたと伝えられている。
特記事項
規模
材質
製作・建立者
祭・行事 大御田祭・御田舞
祭神・宗派 大山咋神
銘文

※1、※2

※1 実際は、多くが縦書きですが、都合上、90度回転させて横書きで表記しています。
※2 ■で表記されている文字は、調査では判明しなかった文字です。

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