脊振山上宮大辨財天石宝殿
せふりさんじょうぐうだいべんざいてんせきほうでん

資料解説

元禄9年(1696)藩主鍋島綱茂により、国境論争の勝訴を後世に残し、国境を後世に永久に確立させるため、上宮弁財天を石造とし石宝殿を建立しました。宝殿内には、石造の辨財天が祀られています。

speaker_notes基本情報

資料の分類 歴史文化遺産 > 建造物・石造構造物 > 神社・仏閣・堂建造物 > 神社 > 神社
名称 脊振山上宮大辨財天石宝殿(せふりさんじょうぐうだいべんざいてんせきほうでん)
所在地 脊振町 服巻 (国有林野)
場所 脊振山山頂に位置する。
年代 江戸 元禄10年 (1697年)
年代根拠 銘文による
指定区分 --
資料番号 87

speaker_notes詳細情報

構造特徴・概要 扉を除きすべて花崗岩を整形加工した壁・屋根の部材を組み建立されている。四隅に方柱形の柱を立て、各壁面は十字の柱と貫が表現されている。屋根は大きく4つの部材で組まれている。宝珠露盤と全面扉に杏葉の紋が付く。
現状 全体的には良好である。扉は鉄製。屋根の一部は破損し補修がみられる。屋根部分の石材の接合部が外れている部分がみられる。
背景・由来・伝承 脊振山国境論裁許確定後の元禄9年(1696)藩主鍋島綱茂が、国境を後世に永久に確立させるため上宮弁財天を石造とし石宝殿の建立を行う。
特記事項
規模 【全体規模】高:408.5㎝、幅:380.0㎝、奥:380.0㎝
材質 花崗岩
製作・建立者 石工:武富清右衛門
祭・行事 春祭(5月2・3・4日 3日宝殿御開帳
祭神・宗派 弁財天
銘文

※1、※2

【正面】
 日本■所名區肥前州佐嘉領脊振上宮大辨財天
【上梁】
 脊振山上宮大辨財天
【上梁文】
 山仰

※1 実際は、多くが縦書きですが、都合上、90度回転させて横書きで表記しています。
※2 ■で表記されている文字は、調査では判明しなかった文字です。

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