構造特徴・概要 |
日本武尊を祭神とする。『三大実録』に、貞観15年(873)に従五位下の神位に叙せられたことが帰されており、県内屈指の古社である。神埼荘の櫛田宮・高志神社とともに櫛田三所大明神の1つである。社殿は、城原川が谷より平野部に流れ出る場所に位置しており、水口を治める役割を持つ神社と考えられる。社殿は、新しく再建されており、拝殿と神殿で構成されている。神殿には、貞和2年(1346)の銘があるクス財を用いた女神像と桐材の一木造の男神像が残されている。慶応2年(1866)6月の水害により社殿並びに神社に伝えられていた足利氏・少弐氏の文書も流失したと伝えられる。 「白角折」の名称は、日本武尊が熊征伐の折にこの地より的に向かって矢を射たという伝説があり、白角折は幣作りのおしとり部と、的は弓作りのいくわ部に関係する地名と考えられている。江戸時代には、五社祭礼のひとつとして、能舞が模様されていた。明治44年に仁比山神社に合祀される。境内には、樹齢約1000年と推定される楠の巨木がある。 |