肥前國風土記にみる神埼

2012/03/01

神埼の成立ちと神埼荘

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肥前國風土記にみる神埼

1000年以上もの時を超えて存在する「神埼」

神埼市の位置佐賀県東部に位置する神埼市は、平成18年(2006年)3月20日に、脊振村・神埼町・千代田町の三町村が合併して誕生しました。

この「神埼」の地名の由来は古く、奈良時代初期に編纂された、各地方の文化や風土を記した『肥前國風土記』の「神埼郡」の条に、

「昔者此郡有荒神、往来之人多数殺害、纒向日代官御宇天皇、巡狩之時、此神和平、自爾以来、無更有殃、因曰神埼郡」

(訳:昔、この郡に荒ぶる神がいて、往来する人が多く殺されました。景行天皇が巡行なされた時、ようやくこの神が和らぎました。それ以来、二度と災いは無くなりました。それで神埼の郡といいます。-佐賀県立博物館製作『肥前國風土記の世界』より)と、その成り立ちが紹介されています。

古くは奈良時代から残る、数々の地名

神埼発祥の地 櫛山の碑

また、実際の出土資料として、平城京跡から出土した木簡(725年(神亀2年)、荷札)や、神埼市神埼町竹原の、志波屋一の坪遺跡から出土した土器にも「神埼」がみえることから、8世紀には、行政地区名として確立していたようです。

さらに風土記には、「神埼郡、郷玖所、里廿六、驛壹所、寺壹所、僧寺」とあり、当時の神埼郡の様子も記されています。

この郷里制とは、当時の行政区画の制度で、「郷」の下に「里」を置くものですが、この神埼郡の「郷」としては、三根郷・蒲田郷・琴木岡・宮処郷がみられます。

 

条里地割図次いで、奈良時代中頃には、土地を碁盤状に整然と区画する条里制が敷かれ、南北または東西方向の区画線を「条」、その一区画を「里」と呼びました。

その際、村全体の規模も変更され、新たに出来た村に○○里と付く村名が用いられたようです。

その数は判明しているだけでも、80以上あり、現在でも田道ヶ里、駅ヶ里、吉野ヶ里、乙南里、小津ヶ里、平ヶ里、枝ヶ里、野目ヶ里、石井ヶ里、東野ヶ里などの地名として残っています。

また、千代田に十条という地名がありますが、これも条里制の名残だと言われています。

下って、中世の時期には、蒲田郷・中郷・竹村郷・上條郷・倉戸郷・東郷・西郷・土師郷・本告郷・賀﨑郷があったことも記されています。

荘園「神埼荘」の成り立ち

743年(天平15年)墾田永年私財法によって、開墾した田畑の個人所有地を認めることとなると、有力な貴族・寺社・豪族は、競うように各地の開発を押し進め、私有の荘園となしていきます。

836年(承和3年)『類聚国史』に、「仁明天皇承和三年十月癸亥、肥前國神埼郡空閑地六百九十町、為勅旨田」とあり、天皇の命により、新たに、690町の土地開発がされています。

1015年(長和4年)、藤原道長『御堂関白記』に「神埼荘」の呼称が初めて史料に登場し、「左大臣藤原道長が宋僧念救の帰国に託して天台山大慈寺に作料物を送ろうとしたことがあり、その時、宋僧念救は神埼御荘司豊嶋方人が下向するのに付いて下向した」とあります。

ここに「御荘」の敬称が用いられていることから、すでにそれ以前には皇室領の荘園として成立していたと考えられています。

御荘としての盛衰

横武クリーク景観1036年(長元9年)『平範國記』に神埼荘は、後院領(天皇ではなく、院が直轄する荘園)として、後一条院から朱雀院へ、その後は、白河院領から鳥羽院領、後白河院領へと代々継承されています。

その鳥羽院政期には、院司として平忠盛(平清盛の父)が神埼荘の預所となり、管理するようになります。

1133年(長承2年)源師時『長秋記』には、「抑宋人来着時、府官存問早経上奏、安堵廻却所従宣旨也、而可爲庄領之由被仰下條、言語道断也、日本弊亡不足論、外朝恥辱更無顧、是非他、近臣如犬所爲也、」とあり、神埼荘・平氏による日宋貿易活動の一端を伺うことが出来ます。

 

神埼御荘しかし、源平合戦で平氏滅亡後、平家ゆかりの地である神埼荘は後白河院領となり、朝廷が支配権を一時回復しますが、承久の乱後に鎌倉幕府によって没収されます。

そして、鎌倉時代中頃に文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)が起こり、その勲功の配置分に困窮するなかで、拝領の対象とされたのが神埼荘です。

その広大な領地は、400名余りの御家人に分配されることとなり、こうして神埼荘は解体・消滅しました。

尚、当初の広さは690町でしたが、1292年(正応5年)『河上宮造営用途惣田数注文』には肥前國最大の荘園となったことが記され、その範囲は現在の神埼市、吉野ヶ里町、上峰町、みやき町の一部に亘る3000町ともいわれています。

水との関わり

天保國絵図農耕において、水はその収穫を左右するとても重要な資源で、その要所には古くから神社が建てられました。

ここ神埼は、北に脊振山、中央に城原川、南に有明海が位置し、広大な佐賀平野が広がる自然豊かで肥沃な土地柄です。

郷里制や条理制が整えられた奈良時代以降、多くの堀が作られ、先人たちの水利に関する様々な努力と功績を現在でも目にすることができます。

細かな水路までは分かりませんが、慶長10年(1605年)に完成した『慶長肥前國絵図』では脊振山から流れ下った城原川が上條郷(現在の右原地区付近)で二又に分岐し、それぞれが有明海に注ぐ様子が描かれています。

しかし、左図の、天保9年(1838年)に完成した『天保國絵図』では、城原川や馬場川は現在と同じような川筋で描かれています。

この城原川流域に神埼荘の三所大明神といわれる、白角折神社、櫛田宮、高志神社が鎮座しています。

櫛田三所大明神

文明19年(1487年)7月10日付少弐政資書下写(櫛田神社文書/佐史集成5)に、「肥前国神埼庄高志櫛田白角折三社宮」とあり、城原川が山間部から平野部に流れ下る位置に白角折神社。

神埼荘の中心地で、城原川東で現在の馬場川沿いにある櫛田宮。

南部田園地帯に高志宮。

三社は、神埼荘の重要な水の守り神として、櫛田三所大明神と呼ばれ、古くから人々の崇敬を集め、五穀豊穣の祈りの場として、重要な役割を担ってきたようです。

 

参考文献


  • 肥前國風土記

  • 瀬野精一郎 「肥前國神埼荘資料」 1975年 吉川弘文館

  • 神埼町史編纂委員会 「神埼町史」 1972年 神埼町

  • 「角川日本地名大辞典」編集委員会 「角川日本地名大辞典」 1982年 角川書店

 

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