構造特徴・概要 |
天保9年(1838)神埼市神埼町尾崎唐香原に生まれる。幼名を文一郎という。佐賀藩精煉方掛員となり、慶応3年(1867)佐野常民に随行する形でパリ万博及び欧州諸国を視察する。明治4年(1871)工部省勧工寮中等出仕。明治6年(1873)にウィーン万国博にガラス伝習生として派遣され、西洋のガラス工芸技術を取得し、明治7年(1874)に帰国。明治10年(1877)に明治政府が建てた品川工作分局で、ガラスの製造技師として洋式ガラス技術を指導し、舷灯用紅色ガラスの製造に成功し、我が国近代ガラスの基礎を日本に広めた。また、ウィーン留学時に鉛筆製造も学び、井口直樹と共に国産鉛筆製作を行う。 |