みゆき大祭 尾崎西分の太神楽
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2012/3/30 更新
受け継がれる伝統
櫛田宮に、約800年にも渡り伝えられてきた、みゆき大祭。
隔年ごとに開催されるみゆき大祭では、太神楽、締元、神輿など、約800人もの行列が、本宮から下宮までの道を練り歩き、華やかな表列を一目見ようと、大勢の人が訪れます。
今回は、その行列の先頭を務める「太神楽」を今に伝える、尾崎地区の方にお話しを伺いました。
760年もの間受け継がれる、伝統芸能「太神楽」
─そもそも、太神楽とはどういったものですか?
私たちの尾崎地区では、西分地区と東分地区で、2年ごと交互に、太神楽を担当しています。
太神楽は、みゆき大祭に奉納する獅子舞で、いわゆる「先払い」ですよ。
私たちが出ないと始まらないわけですから。
昔は、神社から、7回半要請がないと出なかったんです。
今は2回半ですけどね。
太神楽には、獅子の他にも、旗持ち、花籠(夜は灯明を立てる)、大宮司、棒術使い、ササラ、めずり、笛、もらし(小太鼓)、大太鼓、唄頭、などのパートがあり、今はそれぞれのパートに分かれて練習を行っています。
―太神楽の獅子は、大蛇をイメージしているとお聞きしましたが。
はい、神埼の大蛇伝説からきているんでしょうね。
普通、獅子舞と言えば赤い色ですが、太神楽の獅子は緑色、蛇をイメージしているんだと思います。
この獅子、30人から35人近くが入っているから、結構長いんですよ。
本番では、古手(ふって)と呼ばれる、師匠さんのような人が途中に居て、先頭がくたびれたら、「代われ!代われ!」と指示をするわけです。
先頭がくたびれると、動きにメリハリがなくなりますからね。
獅子の髪の毛は、安産のお守りになるとか、魔除けのお守りにもなると言われています。
みんな、この髪を取りに来るわけですよ。
下の宮から下って来る間に途中で無くなって、補充することもあります。
―演ずる側から見て、一番の見所はどういったところですか?
一番の見所は、獅子が太鼓橋の上で、二段接ぎ(先頭の人が、後ろの人に、腰に手をそえてもらいジャンプ)をするところですね。
ここが一番良いところだと思います。ハイライトですね。
若い人じゃないと出来ないですからね(笑)
神社の山門のところで、しっかりもんでから(「いやいや」をしている様子を表す所作)、だーっと一気に神殿に駆け上がり、またもむ、ここも見所だと思います。
伝統美の裏に知られざる苦労あり
─尾崎地区では、800年近くもこの行事を受け継いでいるわけですが、どんなご苦労がありますか?
少子高齢化で、子供が少ない。大人も頭数はいますが、だんだんと高齢化してきている。
新しく入居した方に声をかけ、いろいろな町会などの機会に参加を促してはいるが、何で出ないといけないの?といった声も多い。
やっぱり、いろんな事が昔とは違うなと感じています。
獅子の頭だけでも、10kgばかりの重さがあります。そして幕を付けると、ずーっと後ろに引っ張られる。
基本的には、練習は、まず体づくりなんですよ。
若い人たちは、太ももが痛い、手が痛いと言っている。
4年前に出てくれた方たちは、もう80歳を超えて、ちょっともう今年は参加が難しい。
かといって若い人たちはなかなか入って来ない。
はっきり言って、4年後どうなるか心配しています。
獅子を軽くしないといけないですね(笑)
伝統を伝える地区の役割とは
─4月7日、8日にいよいよ本番を迎えます。本番前のお気持ちをお聞かせください。
760年もの歴史がある太神楽、伝統を守って次の世代に伝えて行きたいですね。
それが私達の役目だと思っています。
地区のみんなもそう思っていると思います。
子供たちも一緒になって、地区のみんなで太神楽を盛り上げて行こうという話が、子供の育成会などの場で出ます。
他所の地区は、子供から大人までのコミュニケーションの機会が少ないが、尾崎西分はそういう機会があってうらやましいと言われます。
新たに地区に入居してくる家族は、中々参加していただけないが、今回は前回参加いただけなかった方も何人か参加していただきました。
新しく来られた方の意識の中にも、太神楽が少しずつ馴染んできたかなと思います。
東日本大震災に関わったある人から、こんなお話を聞きました。
「東日本大震災の避難所を訪れた時、避難所の中は、地域の祭りの組織を中心に上手く回っていた。仮設住宅が出来て入居したが、近所づきあいも、いざという時の助け合いもなければ、面白くない。やっぱりみんな避難所が良かったという。だから、お祭りを、地区の繋がりを大切にしっかりやってください。」
と言われたんですね。
この話のように、やはり地区の繋がりが、大切だと思います。
最近、○○祭りとか、新たに出来たお祭りは、中々定着するのが難しいじゃないですか。
みんな意識を持ってやっているだろうけれども、やはり10年、20年続くかというとなかなか難しい。
そういう中で、760年もの昔から、ずっとこの行事が続いてきたということは、地区の伝統を守らなければならないという認識を、地区の皆が持っていたせいでしょうね。
原 初美(はら はつみ)尾崎西分区長
昭和17年、佐賀県神埼市生まれ。